旧校舎の歴史
はじめに
はじめに
旧校舎が解体されました。十数台の重機が力任せにコンクリートに噛み付き引き裂き、 あたかも映画に出てくる怪獣ゴジラが暴れまわるような凄まじい光景でした。 創設時の歴史を知る者にとっては、悲しく身を切られる思いでした。
「やさしく丁寧に壊して」と願っても怪獣には届きません。無残です。
Y字校舎屋上では、東海大学創立者である松前重義総長(当時)より現代文明論講義が行われ、 何事も文系・理系といった偏った考えではなく、両方の考えを取り入れなければ成就しないと力説された校舎が破壊されました。
普通科・電気科・機械科を郷土熊本に作った意図、学生に対する期待と励ましの言葉が今思い出されます。
2004年1月より新校舎での授業が始まりました。 最先端の情報機器を備えた教室で授業ができるようになりました。
これからの授業は、私達教員がいかに施設設備を工夫して使うかが課題となります。
旧校舎から新校舎へとバトンが渡されたのに際し、過去の歴史が風化する前に少しでもその記憶を残すべく、 旧校舎の写真を歴史を追って掲載しました。 このページを見て、東海大学付属第二高等学校の歴史を少しでも知って戴けたら、また卒業生の皆さんには、 母校での思い出に浸って戴けたら幸いです。
昭和
昭和
開校の趣旨
開校の趣旨
創立者松前重義は、終戦直後、デンマークの国民高等学校を範とする農村青年教育事業の一環として、宇土郡三角町に旧制有明中学校を開設しました。この中学校は不幸にも創立者が公職追放を受けたため、三角町に寄付されましたが、創立者の郷土熊本における教育事業の実現の夢は捨てがたく、東海大学の再建が軌道に乗った1959年、熊本の地に念願の付属高校設立を計画、1961年に東海大学第二高等学校(当時名称、現「東海大学付属熊本星翔高等学校」)開校の運びとなりました。
「東阿蘇 西に不知火 若人の 燃ゆる思に われは答えむ」
郷土の青年のために詠んだこの歌に込められている創立者の思いは、一貫教育を目指す付属高校としてこの熊本の地に結実しました。
1960年(昭和35年)
1960年(昭和35年)
1961年(昭和36年)
1961年(昭和36年)
Y字校舎左奥から順に
①機械実習棟(鋳物・鋳造)
②建築作業小屋(宿直の先生はここに泊まる)
③百葉箱
④自転車置き場
1962年(昭和37年)
1962年(昭和37年)
1963(昭和38年)~1977年(昭和52年)
1963(昭和38年)~1977年(昭和52年)
1980年(昭和55年)〜1982年(昭和57年)
1980年(昭和55年)〜1982年(昭和57年)
平成
平成
1991年(平成3年)~ 2003年(平成15年)
1991年(平成3年)~ 2003年(平成15年)
2004年(平成16年)
2004年(平成16年)
旧校舎を彩る思い出
旧校舎を彩る思い出